コロナ過で外に出かけられなくて、つらいことも多いですが、この絵本は、身近なものの中に大切なものがあると教えてくれます。
ちいさなしろうさぎは、必要なものを全部持っています。大好きなお父さんとお母さん、ねむるベッド、ぬいぐるみ、ごはんをたべるテーブルに食器。初めて食べたリンゴのジャムに感動し、リンゴをかじってみたいとわくわくしてベッドに入ります。今あるものに満足し、身近なものの中に楽しみをみつけていくと今の生活も楽しいものに変化するかもしれません。うさぎ親子の会話に癒されますよ。
スタッフのおすすめ
「もくもく」の正体はなんでしょう。雲みたいで、空気みたいで、ふわふわしたつかみどころのないもの。
例えば「だれかの思い」だったり、「願い」だったり、「友達」だったり「恋人」だったりするのかもしれません。
フランスの絵本を絵本作家のヨシタケシンスケさんが初翻訳しました。ぜひ自由な気持ちでお読みください。
みなさんは「ふろしき」を毎日の生活の中で使う機会はありますか?
たとえば、お弁当を包む布も小さいですが、ふろしきです。
この便利でかわいいふろしきの歴史や包み方、
色や柄などの種類を教えてくれるのが、この本です。
ふろしきを一枚バックの中に入れておけば、急に荷物が多くなったり、
お買い物したときになどにバックにして使うことができます。
サステナブルなものが注目されている今、まさに
ふろしきは使い捨てではない便利グッズになりますよ。
真夜中のパン屋さんをご存知でしょうか。
みなさんが寝静まっているころ、パン屋さんでは、 パン生地が、もにゅん!と動物の形にうまれて、窯に入る準備を始めます。ぞうは自らクリームをごくごくのんでおなかにクリームを入れていきます。へびパンはソーセージをまるごとのみこみます。
いかにもこんがりとおいしそうなパンたちがお店に並ぶと、いよいよ開店ですよ!
おさるちゃんは接骨院でマッサージのおしごとをしています。
今はまだ見習い中で、将来は山の仲間たちのために接骨院を開くのが夢です。
今日は月に一度、山へ帰る日。山では、ひざや腰が痛いおばあちゃんや、子育て中のおかあさんをやさしくマッサージしてあげます。
忙しいので、友達の犬のペロもいっしょに行きます。
こんな接骨院があったらきっと行ってしまうだろうなと思うようなほのぼの優しい気持ちになる絵本。
日常を少し忘れてみませんか。
突然ですが、くじらをすくったことはありますか?
もちろん、きんぎょすくいの金魚がくじらだったらのお話ですが・・・。
この絵本は、全体的にうすぼんやりとした色彩で描かれ、くじらすくいの場面は日常にあるゆらぎを表現しています。
大人には金魚に見え、子供にはくじらに見える。みなさんはどちらに見えるでしょうか。
美しく生きるということ。
その「美」という価値観のそれぞれ。私たちの美しさと幸せのそれぞれ。
光の季節と、それに対する影の季節を繰り返すということ。
胸に手を当て、その鼓動と孤独の音を確かめる。確実に聴こえるその鼓動に誰が気づくまいとしながら、今にも溢れそうな熱い気持ちと膨らむ夢を胸に抱く。
私たちは、何を持ち、何を持たずに、或いは、持てずに、生きてきたのだろう。
幾千もの幼い夜を越えて、その真っ暗な闇から生まれ出るとき、私たちははち切れんばかりに泣いてやるのだ。
それが生まれてきた、これから生きていくことの証だから。
人生の先端を探す旅は、あまりにも長く、それでいて、一瞬より短かった。
長い闇の中で、傷み切った胸の中で生きる理由というのは、愛おしいと思える、もっとも美しいものに出会うためなのかもしれない。
これから続いていく、どのような季節にも花火は高らかに打ち上がり、そして、夢と生との新しい世界をみせてくれるはずだ。
わからない ――家族を思って、ただ、項垂れる。
その分かり合えなさと、それでも分かち合おうとする、心の反発。
本当の自分を抑えようと葛藤する気持ちの中で、家族を想い、迷い、戸惑うことは、思いやりの心なのではないだろうか。
私たちは、迷い、戸惑いながらも、先に進もうと歩み、たとえ破れそうになる脆さがあっても、運ばれる魂は、再生と輪廻を続けていく。
まるで、ミシンを踏みながら、一枚の布を解いては縫い直し、ほつれた糸を解くように、形なき家族の姿を再生させる。
直線からカーブを迎えて、針が思わぬ方向へ進んでしまったとしても、縫い直しのできる一枚の布は、何よりも予想のし難い、幸の表情をしてくれているはずだ。
シンボルの見方を変え、運命を打開し、もう一つの人生を受け入れていく。
人生は、きっと、自らの望む形に変えられるはずだ。
例えば、「死神」と「怖い」と言う言葉の連想により、複雑な感情のうちのいくつかは打ち消されてしまう。
予想や想像ができないことを、いつもこうなんだ、という言い訳で閉じ込めてしまっては、世界は開けない。
こんな自分に出会えた、と受け入れ、今までそう思っていたことから心の姿を変化させれば、過去の自分を、生き方ごと脱ぎ捨てていくことができる。
人間をつき動かす優しさというエネルギーは、今日も私たちの命を運んでいる。
凍り付いていく感情が、わかるかい? 凍り付いていく体温が、わかるかい?
読むほどに、鳥肌が鋭く立っていく。
どこにいるのだ、くうきにんげん。さがしても、見つからない、さがしても見つからない。
さがしても見つからないから、ぼくはその慄きを、忘れない。慄く心と、恐怖する心を忘れずに持ち、その慄きの魂が、心のどこかにあることからは、決して逃げられない。
不条理を片隅に置きながら「ぼくは、一体なんだろう」「ぼくの見ているものは一体なんだろう」と自分に問いかける。
触れない、見えない、もどかしさの中から沸き立つ、慄きの感情、驚嘆の心を、高い、高い、崖に掲げる。そして、自らより湧き出る恐怖する心に、向き合って、立ち上がり、立ち向かい、闘う。それが何かはわからないけれど、わからぬままに、理解を超えた想像の彼方へと、連れて行ってもらおう。